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2011
09
24

償い

110919-01.jpg
(回想シーン 撮影協力:チャーリー嬢)

 
 
僕が育った町はね・・・日本の西の端の長崎と言う所にあってね。
 
その長崎の中でも最南端の場所で、もの凄い田舎でね、昔から地場産業が無くて、男はみんな、船乗りになり出稼ぎに出てしまい、町を歩いても子供とお年寄り、そして船乗りの奥さんしか見かけない。すごく変わった町だったんだ。
 
うちもそれに漏れず、父は外国航路の船乗り、一度船に乗ったら一年近く帰ってこない。帰って来ても3ヶ月位休暇で家に居て、それ終われば、また、ず~っと帰ってこない。
 
だから、小学校低学年位まで、父の休暇が近づくと「おとうさんの顔ってどんな顔だったっけ・・・」とか「会った時になんて挨拶しようか・・・」とか思った真剣に悩んだり、また実際、再会した時は緊張してぎこちない会話になる程だった。
 
そんな変わった環境で、かなり内気な子供として育ってしまった小学校時代、一番嬉しかった事は、三年生の時に、生まれたばかりの仔猫と出会い、それを家で飼って良いと許してもらえた事だった。
 
父は、とても頑固で、とても反対されて、もうダメか・・・と思ったけど、母がお願いしてくれて、なんとか許してもらえた。

その子は、メスの三毛猫で、チー子て名前を付けたのさ。

とても賢い子でね。毎日、学校から帰ると、玄関で三つ指付けて待っていてくれた。 いつも、まるで抱き合う様に寄り添って生活した。

そんな僕をみて母は、いつもこう言った「猫はあなたが一番好き。あなたは一番猫が好き。」

僕も、いつも「チー子、大丈夫?」「チー子は僕が大人になるまで生きてくれるよね。いや、いっか、人間になるんだよね・・・」とか話し掛けたりしていた

そんなチー子との幸せな生活も高校を卒業し、大学進学で田舎を離れている間に、老衰で幸せな猫生を閉じたと記憶していた。

それから・・・上京し、十数年経ち結婚した。

私が子供の頃、猫を飼っていた事を知った奥さんは、たまに「猫飼いたくないの?」と聞いてきた。

しかし・・・猫と一緒に暮らすと言う事に対して何故か?「あまり深く考えるな」と言う、なんだよくわからないブレーキが掛かったような感覚があり「まぁ~ね~」なんて、生返事を返していた。

それから何年かが過ぎ、いよいよ借家住いを終え、マンションを購入しようと言う事になった時に、頭の中には小さくても庭のある1F、またはバルコニーのある最上階と言うのが条件となった。猫を飼った場合、外の空気に触れさせてやりたいと言う事が頭にあったからだ。
 
そしてマンション購入後、半年間、未だ見ぬ当家に迎え入れられる猫の事を思い、バルコニーを転落防止のためのラティスで完全防備したり毎週一生懸命準備した。

そうして迎え入れたのがアイシスだ。

三毛猫のチー子と雉虎のアイ、見かけは全く違うけど、穏やかな気質ときちんとした所作、いつも自分の行く先々に忠実に付いて来るところ等、そっくりで、僕は、自分自身の本質を取り戻した気がして、とても気持ちが穏やかになった。
 
都会で、そんな生活をしていた時期、何年も帰っていなかった田舎へ一人で帰った。母は相変わらず、優しく、また歌うように楽しそうに家事をこなしていた。

その夜、僕は茶の間でテレビを観ていた。母は隣で、昔話を話してくれていた。話は猫の話になったが、僕は気にせず目をテレビに向けていた・・・

「昔隣に住んでいたお家は十数年前引っ越した。奥さんは、昨年癌で亡くなった。あの奥さんはちょっと変わっていた・・・。猫は毒殺されたのよ。」

物騒な言葉に、ふと母の顔に視線を移した瞬間、母の顔がハッとした感じで歪んだ。

そして僕は・・・その瞬間、全て思い出した。
 
チー子は長寿で大往生したのではなかった。

僕が中学校1年生の時、ある日の朝、チー子とその娘のミー子は、隣の家の納屋で死んでいた。
 
隣の家の奥さんが納屋に鼠殺しの毒団子をまき、チー子とミー子は、それを食べてしまった。
 
母親は、とても心配して「大丈夫なの?」と言った。そして、その隣の家には、いつも優しく遊んでくれる一つ上の先輩が居て・・・その子が「ごめんな・・・大丈夫か?」と謝りにきた。
 
僕は・・・「大丈夫!」と言って何事も無かった様に、いつも以上に元気にするしかなかった。
 
この不幸な出来事で、色んなものを壊したくなかった。だから皆が、この事を忘れてしまう時間が過ぎるまで一度も悲しい姿も見せないと決めた。
 
それから何十年も・・・記憶を封印し、事実を歪曲させて生きてきた。
 
若くて未熟で、一番大事なものを守りきれなかった過去がある。
 
大人になった今、縁のあった子は、ヒモジイ思い、痛い思い、辛い思いをさせてはならない、そして最後まで守りきらねばならない。
 
また、路上で出会った子であっても、手を差し伸べてあげたい。出来る限りの事をしてあげたい。
 
それが、僕と人間側の都合で存在を無くしてしまった子達に、今できる償いなのだから。

 
110919-02.jpg
(現在は・・・見る影、いや面影無いス)
 
 


 
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Comment

[109] 償いもできず

私が子供の頃、犬と猫を飼っていました。そしてどちらも最後を看取ってやることも出来ずに別れてしまいました。それが何十年たった今でも心の傷となり、私には犬や猫を飼う資格がないと思っています。

[110]

うちのタロウも近所の偏屈爺さんに毒殺されました。
・・・忘れていたわけじゃないけれど・・・
内弁慶で家族にだけ凶暴なキジ猫。
外猫には弱くて、夜中に母が抱いて外に連れて行ってた。
思い出して、涙がでた。
ニャパさん、ありがとう。
チー子ちゃんは可哀想だったけど、幸せだったと思いますよ。

[111]

私も小学生の頃、えさをあげてた猫が毒を呑んでしまったのを助けられなかったことがあります
ぼろぼろで挨拶に来て、そのまま去っていった猫
一度もなでることも出来なかったノラだったのに、どうしてあの時、あの状態でウチにきたのか
私に助けて欲しかったんじゃないかと今でも何もできなかったことを悔やんでいます

20年近くたって今やっと猫を買える様になりました
アイちゃんとおなじ、たくさんご飯を食べるキジトラです

にゃぱさんの様に大きな活動はできていませんが
せめて今の子には健康で長生きしてもらいたいと思います

[112]

現在そこそこの年を迎えてる(失礼)世代の人は
そんな苦い経験を持っているのでは無いでしょうか。
今でこそまっとうさせる事が出来ますが、まだ幼かった少年にはどうする事も出来なかったんでしょうね。
私とて引っ越しを機につれては行けず、おじいちゃん家に残して引っ越したものです。
だからこそ今は責任もって飼えてる気がします。
昔まっとうさせてあげられなかった猫(チコ)の為にも

チー子ちゃんは今でも心にしまってもらってる事を
ありがたいと思ってくれてると思います。

ニャパさん可愛い少年だったんですね。

[113]

きっと天国で、 にゃぱさんの事、 誇りに思って、 皆に自慢してますよ。
もしかしたら、 アイちゃんは生まれ変わりとか・・・・・
チャーリー、 ちゃんと話、 聞いてくれたんですね。

[114]

鼠殺しの毒団子・・・・
なんだか急にいろいろ思い出したきがしました。
私も同じ経験ある気がします。
幼すぎる頃の記憶だから薄いけど・・・・
それが切欠で、しばらくワンコばかり飼うようになったような。。。

しかし、チーちゃん可愛い♡
今、実家で飼ってるニャンコはチーちゃんにそっくりな三毛猫です。


[115]

初めまして。

私が10代の頃、一緒に暮らし、家族内で一番私と親密だった猫は、飼い主(私)が無知なせいで、白血病で亡くなってしまいました。
それから一緒に暮らした子達には、できる限りのことを、と接しています。
にゃぱさんのおっしゃるように、償いです。
今も、私はこの子達を本当に幸せにしているのか、と日々、自問自答です。

私のハンドルネームは白血病で死なせてしまった猫の名、「つる」から貰いました。

チーちゃんは、今もにゃぱさん大事に思ってくれてることを知っていて、嬉しく思ってるのではないでしょうか。

[116]

私も同じ世代です。子供の頃確かにこういうことしている人、近所にいました。家の前の側溝の中で毒を食べて亡くなっていた子のことは今でも鮮明に思い出します。何故か誰もその人に何も言えないんですよね。今でも悔しくてしょうがありません。
お写真はにゃぱさんとチー子ちゃんでしょうか。
にゃぱさん、すごいハンサムなんですね(^ ^)

[117]

これが、にゃぱさんの原点なんですね。
にゃぱさんが猫活動をする脇でチー子ちゃん見てるんだろうな。
私にも簡単には言葉にできない辛い思い出があります。
今はそれが足枷になってしまう時もありますが、
きっといつか行動力の源になってくれるんだろうと
にゃぱさんの言葉に勇気づけられました。
ありがとうございます。

[118] 初めてコメします

いつも更新楽しみにしています。
心の痛みを打ち明けてくださりありがとうございます。
ブログに載せるということは、だいぶ前向きになれたのでしょうか。
苦労すること多すぎると思います。
影ながら応援しております

[120] 触発されて… 

触発されて… 
もっとも私の写真はモノクロ、歳が知れる?
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2474/trackback

[121] 光の中で

高校生の頃、猫好きな同級生と猫か犬かで冗談めいた論争をしたことが何度もありました。彼女は断じて猫だと譲らず、臆病な自分は猫は怖い(キズが痛い)と思い込んで育ってしまって犬に決まっていると譲らなかった。
時代は変わり、ネット時代で何でも間近で見れるようになりました。自分の手を汚さずおいしいところだけをつまみ食いなのだね、と少し心が痛むのですが、犬と戯れた少年時代も今はむかし、ネットでアイシスとジェリたんの様子を見るのが毎日の楽しみです。
昔日の彼女の主張が、こうだったのか!と目からうろこの日々、今では猫ちゃんを見ると立ち止まる自分になりました。
猫啓蒙のにゃぱさんのお蔭です。
何より、こんなにきちんと、こんなにきれいに、実はそれも猫ちゃんのためでもあるのだと気付かされ、どこまでも優しい飼い方に脱帽しています。もちろん、御綺麗好きというのはありましょう!
長崎のもも以前に、こういう秘話があったなんて、にゃぱさんの秘密とは本当にその通りです。
どうして、そこまでできるのか、今チーちゃんの再来で切なさは最高潮。お疲れ様です。
戻るべくところ、戻るべく愛の手に戻ってきた彼女は、どうしてもここに戻る運命だったのかもしれません。自分を、我が子を救ってくれた愛をもう一度確認に来たのに決まっています。猫は遊び道具じゃない。一緒に暮らす存在で、そっとしておいてあげる愛の大きさを思います。新チーちゃんはにゃぱさんに御礼を言いに甘えに戻ったのだと思います。
長く長く、晩学の人も居る。猫も環境の激変では同じです。次の季節、次の次の季節には、幸せを掴んで欲しいと祈っています。
五島列島の海の光を浴びていた少年の無垢な心がとても崇高に思えました。mirura様が捕まえた“イケメン”は猫ちゃんの守護霊つきだったのですね!!!(長文失礼しました)

[125]

すっかり忘れていたんですが、家で買っていた猫もある雨の朝、外で死んでいて「毒を食べたようだ」と親が言っていたのを思い出しました。
いまだに猫を飼いたくても飼っていなかった理由のような気もします(小学生低学年の頃の話です、自分は40代です)
似たような事ってあるんでしょうね。

[126]

つらい思い出を今まで封印してらしたんですね。
私も子供の頃は猫と一緒に暮らしました。
その子は家族で一番私が好きで、毎夜布団に入ってきてました。
結婚して離れ離れになったんですが、いつかその子が死んだ事を聞かされましたが、
きっと安らかな死であろうことを願うあまり、原因を聞かず終いでいます。
知ることが怖かったから。今でも時々思い出します。
時が癒してくれると思いきや、何年経っても忘れられないものでした。
毒殺したりする人の心って、どうしても何故って?思うんです。
猫って素晴らしい生き物ってことを知る機会がなかったのでしょうね。
 

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